イタリア映画オタが非オタの彼女にイタリア映画世界を軽く紹介するための10本*1

アニオタが非オタの彼女にアニメ世界を軽く紹介するための10本
http://d.hatena.ne.jp/dario04/20080723#p1 

まあ、どのくらいの数のイタリア映画オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、

 その上で全く知らないイタリア映画ーの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、イタリア映画のことを紹介するために

見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にイタリア映画を布教するのではなく

 相互のコミュニケーションの入口として)

あと、いくらイタリア映画的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。

水滸伝好きが『大宋宣和遺事』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

イタリア映画知識はいわゆる「死体ムシャムシャ、パクパク」的なものを除けば、「ライフ・イズ・ビューティフル」程度は見ている

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。


無防備都市ロベルト・ロッセリーニ監督)

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「ネオレアリズモ以前」を濃縮しきっていて、「ネオレアリズモ以後」を決定づけたという点では外せないんだよなあ。関連作品もでまくったし。

ただ、ここで社会派トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

このメッセージ過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に

伝えられるかということは、オタ側の「真の興行師」としての試験としてはいいタスクだろうと思う。

ヴェニスに死す(ルキノ・ヴィスコンティ監督)、デモンズ95(ミケーレ・ソアビ監督)

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなイタリア映画(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの

という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには

一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

「イタリア映画オタとしてはこの二つは“映画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

道(フェデリコ・フェリーニ監督)

ある種の映画オタが持ってる放浪への憧憬と、リチャード・ベイスハートのキ印の演技を

彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもイタリアな

「童貞的なDQNさ」を体現するザンパノ

「童貞的に好みな女」を体現するジェルソミーナ

の二人をはじめとして、イタリア映画好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。

荒野の用心棒(セルジオ・レオーネ監督)
たぶんこれを見た彼女は「用心棒だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この系譜の作品が雨後の筍のごとく続いたこと、これが世界中のアクション映画好きの中では大人気になったこと、

アメリカの実写テレビドラマの出演者、それが本国に逆輸入されて大スターになったのに、

日本の空手家でこういうのがつくられると「荒野のドラゴン」になってしまうこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

1900年(ベルナルド・ベルトルッチ監督)

「やっぱりイタリアはファシストだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「ムッソリーニとお茶を」*1

でもいいのだけれど、こっちを選んだのは、この作品にかけるベルトルッチの思いが好きだから。

断腸の思いで削りに削ってそれでも5時間16分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、

その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。

一方でこれがコルブッチやカステラッリだったらきっちり1時間40分にしてしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭下げて迷惑かけて5時間16分にしてしまう、というあたり、どうしても

「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえベルトルッチがそういうキャラでなかったとしても、

親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

地獄の門ルチオ・フルチ監督)

今の若年層でフルチ見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

 『ベルサイユのばら』(1979年)でオスカル役の一年後の段階で、カトリオーナ・マッコールが内臓をゲロ吐きするとか
知的障害者がリンチされて頭にドリルで穴を開けられるとかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、

こういう作品がビデオとは言えでこの時代に輸入されていたんだよ、というのは、

別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくイタリア映画好きとしては不思議に誇らしいし、

いわゆるブードゥーゾンビでしかゾンビを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。

サスペリアPART2(ダリオ=アルジェント監督)

アルジェントの「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

「何か府に落ちない」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、

だからこそ『インフェルノ』のラストシーンは炎の中でのガッツポーズ以外ではあり得なかったとも思う。

「何か府に落ちない」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の

源はこの映画のトリックにこそあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、

単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
ソドムの市(ピエル・パオロ・パゾリーニ監督)

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういうSM風味の純愛をこういうかたちで映画化して、それが非オタに受け入れられるか

気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

世界残酷物語(グァルティエロ・ヤコペッティ監督)

9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に世界残酷物語を選んだ。

無防備都市から始まって世界残酷物語で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、モンド映画の先駆けとなった作品でもあるし、
紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら

教えてください。


「駄目だこのチネチッタは。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。

*1:アメリカ映画だし