旧ソ連圏映画オタが非オタの彼女に旧ソ連圏映画世界を軽く紹介するための10本

まだいけるかな?
◯◯オタが非オタの彼女に◯◯世界を紹介するための10本まとめ - What is Normal 〜 もはや普通がわからない 〜

まあ、どのくらいの数の旧ソ連圏映画オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、

「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、

 その上で全く知らない旧ソ連圏映画の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」

ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、旧ソ連圏映画のことを紹介するために

見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。

(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に旧ソ連圏映画を布教するのではなく

 相互のコミュニケーションの入口として)

あくまで「入口」なので、思想的に過大な負担を伴う芸術性の乏しいプロパガンダ映画は避けたい。

できればエイゼンシュタイン、あるいはフセヴォロド・プドフキンにとどめたい。

あと、いくらソ連映画的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。

三国志好きが『三国志平話』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。

そういう感じ。

彼女の設定は

旧ソ連圏に関する映画知識はいわゆる「怒りのアフガン」的なものを除けば、レッズ程度は見ている

サブカル度も低いが、頭はけっこう良い

という条件で。

まずは俺的に。出した順番は実質的には意味がない。
戦艦ポチョムキンセルゲイ・エイゼンシュテイン

まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「モンタージュ理論」を濃縮しきっていて、「モンタージュ理論」を決定づけたという点では

外せないんだよなあ。乳母車も階段オチだし。

ただ、ここで革命トーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。

この思想過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に

伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション」の試験としてはいいタスクだろうと思う。

妖婆・死棺の呪い(C・エルショフ、G・クロパチェフ)、鬼戦車T34(監督: N・クリヒン、 L・メナケル)

アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなソ連映画(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの

という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには

一番よさそうな素材なんじゃないのかな。

旧ソ連圏映画オタとしてはこの二つは“映画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。

惑星ソラリスアンドレイ・タルコフスキー

ある種のSFオタが持ってる宇宙への憧憬と、レムの原作へのこだわりによる対立を

彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも谷口悟朗

「童貞的なださカッコよさ」を体現するクリス・ケルヴィン

「童貞的に好みな女」だろうが何だろうが体現させるソラリス

の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。

デルス・ウザーラ黒澤明監督)

たぶんこれを見た彼女は「黒澤明だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。

この系譜の作品がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、

アメリカなら黒澤と決裂して、それが日本で一冊の本になった、

日本国内での黒澤天皇化のこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。

戦争と平和(セルゲイ・ボンダルチェク監督)

「やっぱり旧ソ連圏は文学だよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「かもめ」

でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるソ連当局の思いが好きだから。

完全再現のためには削らずに7時間4分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、

その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。

ソ連版の長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが

アメリカ映画だったらきっちり3時間28分にしてしまうだろうとも思う。

なのに、各所に頭も下げず7時間4分を作ってしまう、というあたり、どうしても

「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえソ連がそういうキャラでなかったとしても、

親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。

諜報員(ボリス・バルネット監督)

今の若年層でバルネット見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。

大祖国戦争終結より三年後の段階で、スパイ映画の技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、

こういうクオリティの作品がスターリン時代にかかっていたんだよ、というのは、

別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく旧ソ連圏映画好きとしては不思議に誇らしいし、

いわゆる007でしかスパイ映画を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。


カメラを持った男(ジガ・ヴェルトフ)

ヴェルトフの「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。

「視点と編集しだいで観客は操れる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、

だからこそゴルバチョフ版『ペレストロイカ』最終話はソ連解体以外ではあり得なかったとも思う。

「視点と編集しだいで観客は操れる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の

源はカメラを持った男にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、

単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
太陽(アレクサンドル・ソクーロフ監督)

これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。

こういう虚実を巧みに織り込み昭和天皇をこういうかたちで映画化して、それが日本人に受け入れられるか気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。

コーカサスの虜(セルゲイ・ボドロフ監督)

9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にコーカサスの虜を選んだ。

エイゼンシュタインから始まってボドロフで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、チェチェン紛争批判の先駆けと

なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。

というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら

教えてください。

「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。

こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。